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東京地方裁判所 昭和39年(ワ)10907号 判決 1968年2月28日

原告 市田正男

<ほか一六名>

右一七名訴訟代理人弁護士 渡辺正雄

被告 株式会社 帝全交通

右代表者代表取締役 小林秀信

右訴訟代理人弁護士 倉地康孝

主文

原告等の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、原告等の負担とする。

申立

原告等の求めた裁判

(一)  被告は、原告等に対し、それぞれ別紙債権目録「合計」欄記載の金員とこれに対する昭和三九年一一月二三日から支払ずみまで年六分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は、被告の負担とする。

(三)  仮りに執行することができる。

被告の求めた裁判

(一)  原告等の請求を、いずれも棄却する。

(二)  訴訟費用は、原告等の負担とする。

主張・証拠 ≪省略≫

判断

被告は、旅客自動車運送事業を営んでいる会社であり、原告徳田広義は、昭和三八年六月九日から、その余の原告等は、同年三月三一日以前からいずれも被告に雇傭されてタクシー運転の業務に従事し、帝全交通労働組合に加入しているものであること、被告と帝全交通労働組合の間では、昭和三三年四月一八日労働協約が締結され、その第五三条の規定に基いて昭和三四年四月一一日期間の定めのない賃金協定が成立し、この賃金協定が従業員の賃金算出の基準となっていたこと、その後昭和三三年の労働協約は昭和三五年六月以前に破棄されて失効したけれども、同年七月一六日被告と帝全交通労働組合間に締結された協定によって、賃金についてはなお従前の例によることとなったので、昭和三四年の賃金協定はその後も有効に存続していたところ、被告は、昭和三九年一月一日からタクシー運賃が改定される予定となったので、昭和三八年四月二二日付の書面で右昭和三四年の賃金協定を破棄する旨を帝全交通労働組合に通告し、その書面はその頃同組合に到達したことは、当事者間に争いがない。

原告等は、昭和三八年四月になされた昭和三四年の賃金協定の破棄行為は、権利の濫用として許されないと主張するけれども、その全立証によっても、右破棄行為が権利の濫用に該当するとは、到底認め難いから、この点に関する原告の主張は採用の限りではない。

とすると、被告の破棄通告によりその後九〇日の経過と共に前記賃金協定は失効し、被告は、新たに採用する従業員については、何等の制限を受けることなく個々の労働契約の中で自由に賃金に関する約束を結ぶことができるものといわなければならない。しかしながら、賃金協定破棄前に採用されている従業員については、昭和三四年の賃金協定の内容が即ち個々の労働契約の内容に転化しているものと見るべきであるから、たとえ賃金協定が破棄されたからと云って、既に個々の労働契約の内容となっている賃金の歩合率その他に関する部分を当該労働者の同意を得ることなく、使用者が一方的に労働者の不利益に改変することはできないものと解するのが相当である(被告は、タクシー運賃の改訂による営収増は、運転手の稼働上の努力とは無関係であり、しかも、昭和三九年の運賃改訂は、人件費等の増加をカバーするという目的の下になされたものであるから、新料金による営収を旧料金による営収に引き直したものに旧歩合率を適用した賃金額と同一額を労働者に支給している限り、新料金の場合の歩合率を旧歩合率よりも低減したとしても労働条件を労働者の不利益に変更したことにはならないと理解しているもののようであるが、元来、歩合給の労働者の売る商品の値段が上った場合に、その賃金を商品の旧の値段を基準にして算定しようとすること自体、即ち労働条件を労働者の不利益に改めることに外ならないというべきであるから、この点に関する被告の見解は当裁判所の採用しないところである。)。

ところが、被告は、昭和三九年一月から従前の歩合率を原告等の不利益に引き下げ、被告が一方的に設定した賃金算定の基準に従って同年二月分(厳密には同年一月二一日から同年二月二〇日までの分)と三月分(同じく同年二月二一日から同年三月二〇日までの分)の賃金を支給したため、昭和三四年の賃金協定に定められた基準に従って算定された賃金との間に相当の差額を生じ、右賃金協定によれば、原告等は、当時、なお別紙債権目録二月分及び三月分賃金残額欄記載の金額の取分がある計算となることは、当事者間に争いがないから、前段判示のように、昭和三四年の賃金協定の内容が原告等個々の労働契約の内容になっていた(原告徳田広義は、右賃金協定の破棄後である昭和三八年六月九日より雇傭されたものであるから、被告は、その雇傭契約で同人の賃金その他の労働条件を自由に取り極めることができたものであるが、弁論の全趣旨によれば、被告は、賃金その他について原告徳田を他の従業員と全て一様に取り扱って来たことが認められるので、原告徳田についても、昭和三四年の賃金協定の内容と同様の内容の個別的労働契約が成立していたものというべきである。)ものと解すべき以上、原告等としては、実際上も右の賃金残額請求権を有していたものであるといわなければならない。

そこで、被告の仮定抗弁について検討する。

≪証拠省略≫を総合すると、被告会社には、原告等が加入している帝全交通労働組合と、その外に帝全交通タクシー労働組合の二つの労働組合があった。被告は、昭和三四年の賃金協定を破棄した後の昭和三九年一月中乗務員臨時給与規定なるものを作成して労働組合に提示し、今後はこれによって賃金を算定したいと提案したが、拒否されてしまったため、乗務員臨時給与規定を撤回し、被告の加盟している全国乗用自動車連合会で指導したいわゆる全乗連方式という算式を暫定的に採用し、昭和三九年一月分は、この方式によって算出された賃金を一方的に従業員に支給するに至ったが、この算式に対しても組合が反対しているところから、全乗連方式で算出された金額の外に何がしかの金額を割り出してこれを増収差額補償金という名目で従業員に支給しようとした。帝全交通タクシー労働組合加入の従業員達は、同年二月一一日この増収差額補償金を受領したが、原告等帝全交通労働組合に加盟している従業員等は、飽くまで昭和三四年の賃金協定の定めた歩合率によって算出した賃金の支払を求めていて、右一月分の増収差額補償金の受領を拒否していた(昭和三九年二・三月分については、一部修正した全乗連方式で算出した金額に増収分の二五パーセントを加算したものが賃金として支給され、これは原告等も受領していた。)。その後、被告と二つの労働組合の間に何回か団体交渉が持たれた結果、昭和三九年四月一九日被告と帝全交通タクシー労働組合との間に賃金に関する協定が成立し、以後賃金は会社の定めた乗務員給与規定(昭和三九年三月二一日作成の分を一部修正)によることとなったが、当時、帝全交通タクシー労働組合との間では、一時金の話は全然問題となっていなかった。被告は、帝全交通タクシー労働組合との間に賃金の協定が成立したので、今度は、帝全交通労働組合と同年四月二〇日頃団体交渉を持ち、交渉の結果、被告と出席した帝全交通労働組合の代表者との間で、同組合に加盟している従業員も同年一月分の増収差額補償金を受領すること並びに被告は、一時金の名目で帝全交通労働組合の組合に加盟している従業員に対し一人当り金五〇〇円を支給することにして同年一・二・三月分の賃金紛争を解決する旨の合意が成立し、同年四月二六日、被告から帝全交通労働組合に対して右一月分の増収差額補償金として計金三八、八〇〇円及び一時金として計金一二、〇〇〇円の合計金五〇、八〇〇円が支払われ、同労働組合は、その頃右の金員を原告等各人に分配するに至った。被告としては、帝全交通労働組合に対して一時金を支給した関係上、帝全交通タクシー労働組合に属する従業員に対しても金五〇〇円あてを支給することにし、同労働組合の家族慰安会の補助金という名目で昭和三九年五月一五日になって計金三万円を同労働組合に支払った。と認められ(る。)≪証拠判断省略≫(尤も、甲第五号証の記載によれば、昭和三九年二・三月分の賃金についても未解決の状態にあったのではないかと疑問の生ずる余地がないでもないが、原告等が受領を拒否していた同年一月分の増収差額補償金を受領すると共に、帝全交通タクシー労働組合加盟の従業員よりも先に一時金の支給を受けたものである等上記認定の事実関係に、甲第五号証の内容証明が発せられたのが、一時金に関する団体交渉がまとまってから約二五日間、その支給を受けてからでも約二〇日間の日数を経過していることなどに徴するときは、昭和三九年五月一五日頃になって始めて帝全交通労働組合内部で一時金の受領に関する問題が発生したために、内容証明を発送するに至ったのではないかと窺える点がないでもなく、甲第五号証の存在は、何等上記認定をする妨げとならない。)。

とすると、原告等と被告との間には、昭和三九年四月二〇日の団体交渉に出席した者を通じて、同年一・二・三月分の賃金に関する限り、一時金として各自金五〇〇円あてを受領することによって一切解決し、原告等としては、昭和三四年の賃金協定の定めた歩合率による請求をしない旨の合意が成立したものと見るのが相当である。

以上の次第で、被告の仮定抗弁は理由があり、原告等の本件請求はいずれも失当として棄却を免れないから、訴訟使用の負担について民事訴訟法第八九条第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 西山要 裁判官 吉永順作 山口忍)

<以下省略>

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